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現代音楽からTV・映画の劇伴や舞台・イベントなどの作曲や編曲etc.

伊福部昭の音楽のフィルモロジー

その4 効用音楽の四原則 後編

2018年05月08日

「作曲家が映画のダビングに立ち会わなくなってから、
映画がつまらなくなったんですよ…」

ある日のゼミで伊福部先生は呟きました。何回かに渡って「音楽のフィルモロジー」の講義をして、休憩でコーヒーを飲みながらのことでした。勿論、当時学生だった僕は映画制作の現場も知らないですし、映画の善し悪しの基準も曖昧でしたが、確かにあの頃(1980年代)は邦画の動員数や制作本数も減少傾向にあり、大手映画会社のそれに代わって、角川映画などのメディアミックスが一世を風靡していた頃でした。

この原稿を執筆する前まで、ちょうど僕自身、ある映画のダビングに立ち会っていました。映画は総合芸術。企画から立ち上げ、脚本・カメラ・照明・録音・編集、俳優さんたちの演技や演出、そしてポストプロダクションという映像編集後のセリフや効果音や音楽といった音響周りの作業等々、膨大な人と手間をかけて映画は完成します。スコアを書いて、音楽のレコーディングをすれば音楽は完成しますが、映画音楽はまだ未完成なのです。映像と共に、セリフや効果のバランス、音楽効果を踏まえた演出の意図をファナルミックス(ダビング)では仕上げて行きます。

僕は、映画の場合は必ずこのタビングには全日立ち会います。あるスタッフさんに「作曲家がこんなにダビングに来るの初めて見ました」と。
先生の教えから40年。今まさに同じ心境です。

前回からかなり間が空いてしまいましたが、伊福部先生の「効用音楽の四原則」の後半です。

《伊福部昭の効用音楽四原則 その2》

3、ドラマ・シークエンス

音楽をどこからどこまで付けるかによって、カットもしくはシーンをまたいで同一のシークエンスとして認識させることができます。

シークエンスという言葉は、生物学や数学、建築や音楽など様々な学術で使用される言葉ですが、映画の場合、短いそれぞれのカットや1つのセンテンスであるシーンを、演出的企図で連続的に繋げることを意味します。ストーリーや演出で複数のシーンを1つのシークエンスにまとめることもできますが、音楽を付けることによって、より明確に演出的方向を確定します。

例えば、探偵が殺人現場で推理するシーン。複数の登場人物がいる部屋の俯瞰、殺された被害者、凶器、困惑する人々、机の上の時計等々、それぞれのシーンをサスペンス風な音楽を付けることによって、事件現場の緊張感を高めたり、また推理する過程を表現したりします。

また、回想のシーンでもシークエンスは有効に働きます。映画の終盤、主人公の幼少期、苦労したシーン、親子の分かれ、親友と喜び合うシーン、ピンチ、そして大団円から現実へ戻るシーンまでの大きなシークエンスも、音楽の効用として最も心に残る使われ方ですね。

僕も制作に関わっている「砂の器・シネマコンサート」で、改めてこの作品と向かい合ったのですが、音楽の少ない前半から、この音楽によるシークエンスがとても効果的でした。無機質的で残虐的なカットが連続する殺人現場のシークエンスや、刑事が事件解決の糸口を求めて旅をする一連の旅シーンのシークエンスは、「砂の器」の特徴とも言える表現効果でした。

4、フォトジェニーへの呼応

高速撮影(スローモーション)や効果映像へ音楽は効用表現ができます。

フォトジェニーというのは、物語性や劇的展開を重要視するのではなく、映像そのものが持つ表現性とでも云うか、絶対性を指したものだと云えます。映画は第7の芸術だと言ったフランスの映画理論家リッチョット・カニュードが、フォトジェニーな真実を目指し芸術性を高めるべきだと提唱したのが1900年代始めの頃でした。

例えば、チューリップの花が蕾からゆっくり開花して行く様(高速撮影)に、音楽を付けることによって生命の神秘さを想像させる効果があります。また仏像に現代音楽的な曲を付けることによって、映像と音楽を別の次元で融合することができます。

映画「2001年宇宙の旅」の終盤でのスターゲートのシーンに、現代音楽作曲家リゲティ・ジェルジュの「アトモスフェール」を使用したのも、ある種のフォトジェニー派的な音楽効用だと言えます。但、次のシーンの「ツァラツストラはかく語りき」は通俗的過ぎるように思えますが。(笑)

このフォトジェニーへの呼応は、監督の音楽的志向、作曲家のドラマトゥルギーへの共鳴度に比重が置かれる技法だと言えます。

次回は、「音楽演出の種類」についてお話ししたいと思います。
(あまり間を空けないように…)