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Vol.3 日本語とオペラ#3 日本語の歌考察 [2010/08/16 23:34up!]

 私は学生時代、モーツァルト作曲のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の助演のアルバイトをしたことがある。歌うわけではなく、給仕や兵士など、セリフのない役どころを演じるのである。これが私のオペラ初体験なのだが、それはとても魅力的かつ創造的な現場であった。ただ、その公演は日本語訳詞による歌唱で、日本語でオペラを歌うことの居心地の悪さを同時に感じた瞬間でもあった。

 日本語の歌で、しばしば問題として語られるのがアクセントの問題であろう。よく例に上げられるのが、山田耕筰の「赤とんぼ」である。歌い出しの「夕焼け子焼けの赤とんぼ」の部分の「赤とんぼ」のメロディーが、「かとんぼ」と頭にアクセントがあるように聞こえ、実際の「あとんぼ」と発音が違うという問題である。現在の研究では、発表当時の大正10年では、標準発音も「かとんぼ」だったという研究発表がなされているが、注目は山田耕筰がメロディー創作に於いてアクセントをかなり重要視した点である。三木露風との共同作業による、日本語の歌のあり方を模索している様子が伺えるが、やはり山田がドイツ留学をした経験が最も大きいのではないかと思う。ドイツ語は、日本語よりアクセントに敏感で、また日常に於いても(演説などでも)アクセントの上手さが評価に繋がると言っても過言ではない。勿論、それはドイツの数多の大作曲家にも大いに反映されている。ドイツ留学を経て、その歌曲作曲法に影響されたことは想像に難くない。

 しかし、日本語の特徴は決してアクセントだけの問題ではないのである。むしろ、地方によってはアクセントが逆になることも多々で、標準アクセントは明治時代の為政者の仕業であり、音楽はなんら影響を受けないと私は考える。勿論、日本語を美しく話す上でアクセントは重要だが、歌という観点からすると、むしろアクセントより「文脈」と「リズム」の方を重要視すべきではないかと思う。例えば、先の「赤とんぼ」でも、アクセントの問題は昔から言われているが、その曲が名曲であることは誰もが認めるところであるし、詩の内容がアクセントの位置によって損なわれるということもない。つまり、我々は歌を「単語」ではなく、「文脈」で感じているのである。

 例えば、不自然に感じる歌は、歌詞を「夕焼け子焼け、の赤とーんぼ」など、文体を不自然に区切ったメロディー構成をしているのである。J-Pop系でメロディー優先という現状を鑑みれば、こういう現象も多く見られるのであるが、何か違和感を感じるのは、こうした文脈とメロディーとが整合されていないという問題点があるからである。

 「リズム」に於ても同様で、4拍子や3拍子によるメロディー作曲法では、先のようにメロディー優先で不自然な文体割りが行われてしまうことがある。これとは対称なのが、デグラメーションという朗唱法である。ロシアの作曲家ムソルグスキーの作品の中に多く見られるが、所謂、言葉のリズムを優先し、5拍子や6拍子など、言葉に合わせたリズムを複合的に使った作曲法である。文体を切らずに文脈で歌を作る、この方法が日本語の歌にも有効なのではないかと考える。

 和歌を披講する際、概ね同じようなリズムと抑揚(旋律感)で歌われるが、それは上記のアクセントやリズムの問題を超越した潜在意識による伝統の美観が働いているからである。しかし、ここにも日本語の歌を創作する際の重要なヒントが隠されていると考えている。五・七・五のリズム、2度音程や3度音程など限られた音程感での構成は、美意識を刺激しながらも、言葉の意味に意識を集中できるように築き上げられた技法なのである。

 さて、これらの考察と童謡という観点からこの「うずら」の歌は作られた。どうしたら言葉の世界を歌で表現できるか? それは創作ノートVol.1でも述べたように「文学」と「音楽」は共存できるのかという大命題への挑戦でもある。
 さらに、創作は手段として表現を伴うが、「歌い方」も大きな問題である。つまり、オペラといえばイタリアのベルカント唱法であるが、その唱法が決して日本語を歌う場合には適切ではないという問題である。

 この問題は、実に奥が深く、私たちの文化意義に大きく関わってくるのである。


和田薫指揮・東京フィルハーモニー交響楽団 銚子公演 [2010/08/16 00:36up!]

「海響」生んだ銚子で作曲者の指揮による演奏!
他にも「犬夜叉幻想」や「オーケストラ探訪記」も演奏
2010年10月10日(日) 15:30
開演 銚子市青少年文化会館大ホール
お問合せ : 銚子市青少年文化会館 0479-22-3315


Vol.2 日本語とオペラ#2 童謡と演劇 [2010/08/02 23:33up!]

 2008年2月に実行委員会との初顔合わせがあった。実行委員会からの注文は、この和光に縁のある童謡詩人・清水かつらのオペラを作って欲しい、そして全国各地で再演されるような作品にして欲しい、という2点だった。しかも、清水かつらを題材に、作曲だけでなく、台本・キャスト・スタッフ等、何から何まで全て任せるということなのだ。

 これには驚いた。オペラを書いたことの無い作曲家にそこまで託して良いものなのか?! 聞けば、現代オペラが面白くないのは、作曲・台本・演出などの意志疎通がバラバラで、そこに作品の普遍性が欠如する理由があるのではないかという実行委員会の見解であった。さらに、オペラを作ったことの無い作曲家だから、その未知数に期待したいとのこと。

 前者は、一理あるとは思う。しかし、それにしても私を指名するのは大冒険なのでは? 後者は……。なんとも複雑な心境になる委嘱理由である。

 私は、辞意を覚悟に(むしろクビになることを期待?!)、2つの条件を出させてもらった。1つは、所謂グランド・オペラ的な様式の作品は創作しないということ。そしてもう1つは、「清水かつら物語」は作らないということ。前者は、前回の創作ノートに書いた通り、グランド・オペラという様式が作曲家として相いれないこと。後者は、一個人の生涯を舞台化するのと、普遍普及を目的にそれを創作するのは困難だと感じたからである。折角、数年がかりで、和光市を中心に専門家や市民など広く人材を集めたこのプロジェクトが船出をしようとしているのだから、既成概念に捕らわれず、新しいカタチの舞台芸術、そして広い世代と地域で共感のもてる物語にしましょうと、結果的に実行委員会にハッパをかける形になってしまっていた。そして、大きな期待を受けながら初顔合わせは終わった。まだ何もアイデアがないまま…

 私は、日本の作曲家、いや音楽家としてずっと気になることがあった。それは西洋音楽を学び、オーケストラや室内楽、時には現代邦楽の分野でも活動する中、私たちは西洋音楽導入期の明治維新後から現代に至るまでの経過を、きちんと検証し、引き継いでいるのだろうか、ということである。音楽学や歴史学的に検証する専門家はいるが、私が思うのは、民意の中にそれがあったであろうかということである。例えば、ヨーロッパは、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン……と、様式や時代背景が変遷しても、ひとつの継承という流れがあり、積み重ねがあって現代の音楽へと通じる。翻って日本の現状を見た時に、私たちは明治・大正・昭和の時代の流れを音楽として継承してきただろうか? それなくして文化と云えるのであろうか? という問題である。

 そうした現状の中、唯一永い時を越えて今も残っているのが“童謡”や“唱歌”なのではないかと思う。厳密に云うと、童謡と唱歌は、その生まれた理由は大きく違う。それはまた別の機会に述べるとするが、100年という時を越えて、古典芸能ではなく、創作曲として民衆の中に残っている童謡や唱歌を、今一度検証すべきではないかと考えていた。そうすることによって、日本人独自の“歌”が生まれるのではないか?

 微かな期待が生まれた。

 縁あって、1999年から劇団青年座の音楽を時折担当させて頂いている。この新劇と呼ばれる、欧米の翻訳劇でない、日本独自の演劇表現を切り開く姿は、音楽家として大いに学ぶものが多い。例えば、青年座の公演は、音楽界でいうと毎回日本の現代音楽を公演しているようなものである。しかも劇団として輝かしい歴史と成果を上げている。オーケストラにそんなことがあり得ようか?
また近代西洋の演劇論の影響を受けながらも、日本語での方法論の開拓に労力を惜しまない。この姿勢がなぜ音楽界にないのだろう?

 ひとつ云えるのは、この新劇運動は明治末期から、脈々と受け継がれているという事実と背景である。前述したように、正に音楽界がしてこなかったことを、そこに見ることが出来たのであった。

 私の中で、長年関わってきたもの、点と点とが細い線で次第に結ばれ、段々と太くなっていく感覚を覚えた。

 童謡、演劇、そしてオペラ。何か出来るかもしれないという予感。

 しかし、ここから台本完成まで2年という時間を要するのであった。


Vol.1 日本語とオペラ#1 日本語の歌とオペラ [2010/07/26 23:30up!]

 2007年の秋頃、古くから親交があり私の作品の理解者である榑松さん(うずら公演実行委員会委員長/元東京フィル楽団長)から一本の電話を受けた。

「実は今、新作オペラの作曲者候補に和田さんの名前が挙がっているんだけど、どう?」

新作オペラ? ……うーん……

「すみません、オペラはちょっと… オペラは書いたことないし、まず日本語の“歌”を書くのが苦手で…」

という曖昧な言い方をしてお断りしようとした。

「いや、まだ候補だから。名前挙げるだけでもいいでしょ?」
「…名前だけなら…」

 約3年間に渡る大きなプロジェクトの最初は、こんなやり取りで始まった。

 作曲家にとって、作品の委嘱を受けるということは大変光栄なことであり、有り難いことである。しかし、オペラに関しては自分は未経験だし、委嘱を頂く資格はないと思ったのが正直なところ。何より「日本語の歌」の問題、そしてオペラという様式に対する私自身の未解決な問題があまりに大きかったので、むしろ避けて通りたい分野であった。

 「日本語の歌」の問題。これは学生の頃からずっと自問してきた事なのだが、所謂“文学”と“音楽”の共存は可能かという命題である。何を今更、という御仁もおられようが、文学的呪縛に於いて音楽を支配されることが解決できないまま長年作曲活動をしてきた自身、純音楽における“歌曲”的なものはほとんど私の作品リストには無い。

 例えば、校歌や映画やイベントなどで効用音楽としての“歌”はあるのだか、それは目的がハッキリしている。そしてアレンジャーとしても多くの“歌もの”を担当してきたが、その視点からも納得のいく「日本語の歌」の意味は得られなかった。

歌詩または歌詞とは、文学を更に抽象化し形而上学的な語感に洗練していくのだが、それを日本語の音楽としての様式化に自身が至っていなかったのであった。

 それぞれの国には、それぞれの言語で“歌”は存在する。例えば、ベートーヴェンの第九の合唱は、文学的な名訳があるにせよ、やはり日本語で歌うと陳腐であり、意味は分からなくともドイツ語の語感の響きには敵わない。

 私の作曲家としての信条は、日本の伝統的な音に共感し現代へ投企することなのだが、この日本の伝統的音楽のカタチと現代の文学(短歌や和歌でなく歌詞として)の共存に、まだ意義あるスタイルを見出せなかったのであった。
 
 そして「オペラ」という様式、つまりヨーロッパ芸術の権化であるオペラが、自らの音楽的信条にどうしても相いれないのであった。オペラの歴史は、宗教音楽と同じくヨーロッパ音楽の根幹をなすもので、発生は16世紀末だが、文化的起源は紀元前のギリシャ時代にさかのぼる。つまり、その永々とした時の積み重ねの中に現在のオペラ芸術はある。
 日本にも、能や歌舞伎のように文学・音楽・舞踊などの総合芸術としての舞台芸術はある。それらは、日本人の潜在意識の中に大きな価値観を形成していて、現代でも演劇や映画などあらゆるジャンルに継承されている。例えば、「寅さん」のような映画は日本人にしか作れないし、未だに忠臣蔵に共感する人は多い。

 しかし、オペラに限って言えば、日本の現代オペラはヨーロッパのそれの借り物に過ぎないのではないと、ずっと感じていたのである。勿論、日本の歴史や音素材を使った日本風オペラも存在するが、それは果たして歴史の継承者となるのであろうか?その疑問が悶々と長年私の中にあった。

 これら大きな二つの問題が、榑松さんからの電話で咄嗟によぎったのであった。だから最初は全く消極的であったし、お断りするつもりだったのだが…

 数日後、
「和田さんで決まったよ。」と、榑松さんからの電話。

「えええ! 僕ですか?! 他に適任者が入るでしょう?」
「いや、実行委員会の多数決で決まったんだよ。お願いしますね。」
「いやいや、ムリですよ。オペラ書いたことなし…」
「書いたことない人がいいんだって。お願い、頼みますよ。」

 ここから3年間の格闘の日々が始まった。


NHK-BS「名曲探偵アマデウス」に出演 [2010/07/01 00:36up!]

「名曲探偵アマデウス 第70回禿げ山の一夜」に楽曲解説で出演
「なぜこの曲は恐怖心をかき立てられるか?」のなぞ解きを解説
本放送:NHK BShi 2010年 7月12日(月)19:00~19:44
再放送:NHK BShi 2010年 7月13日(火) 8:00~ 8:44
NHK BS2 2010年 7月22日(木)16:00~16:44
(※放送時間が上記↑に変更になりました)


第6回なぎさブラスゾリステン コンサート 新曲初演 [2010/07/01 00:35up!]

今年もオープニングの新作とこれまでのなぎさオリジナルを演奏
「海に寄せる3つの断章より第一楽章」
「金管アンサンブルと打楽器のための二章“海神”より第二章」
2010年10月6日(水) 19時開演
逗子文化プラザホール・なぎさホール


NHKみんなの童謡「富士の山」アレンジ指揮担当 [2010/06/08 00:35up!]

7月放送予定です。


NHK-BS映画音楽に乾杯! アレンジ担当 [2010/06/08 00:35up!]

「太陽がいっぱい」と「ゴジラ・メドレー」の2曲をアレンジ
6月27日(日)BS2:午後7時30分~8時58分 放送
7月3日(土)BS hi 午後4時30分~5時58分 再放送


吹奏楽のための祝典序曲「嶽響(たきゆら)」楽譜販売中 [2010/04/30 01:01up!]

沖縄に駐屯する陸上自衛隊第1混成団音楽隊の第28回定期演奏会のための委嘱作品
14,040円(税込)/内容:スコア・パート譜一式
演奏形態:吹奏楽/演奏時間:約5分45秒
発売日:2010年4月30日
取り扱い先: 東京ハッスルコピー


OVA「聖闘士星矢THE LOST CANVAS冥王神話」第2シリーズも音楽を担当 [2010/04/30 00:34up!]

全6巻のOVA第1シリーズの好調を受け第2シリーズも制作決定!
詳細は追って発表します。